植草結樹39年間の局アナを1月31日卒業します。2月1日から40年目はフリーアナウンサー

テレビ大阪に入社したのは1991年4月。大川沿いの桜が綺麗に咲いていました。 「桃栗3年柿8年テレビ大阪まる10年」の大キャンペーンを展開中。新社屋の今と違い こじんまりとローカル局より小さいサイズの局舎。でも泥臭い熱量を感じる時代でした。(今はスマートな熱量)
経済番組のディレクターやスポーツ番組のプロデューサも経験しましたが 入社から卒業までアナウンサーとして活動できたことには 家族、同僚、スタッフに感謝しかありません。野球をはじめ、サッカー、ラグビー、ボクシング、空手、トライアスロン、マラソン、卓球、バスケット、陸上等のスポーツ中継の実況を担当しました。マラソンの中継を終えオランダから早朝帰国 成田空港からそのまま岡山へ移動して野球中継



親子中継(植草貞夫)兄弟中継(植草朋樹)
担当した経済番組では「父をイケおじ」にという企画で家族も出演させてもらいました。自分の結婚式の翌日の阪神淡路大震災。 母校からの中継 被災と報道の両方を経験し、震災の報道はどうあるべきか30年たっても結論が出ません
そんなテレビ大阪とはもう少しで卒業です。第三の人生スタートは フリーアナウンサーという個人事業主。父が実況のマイクを置いたのが66歳 そこに近づいてきました。
もう少し 喋りたいと思っています。ラジオだったり、スポーツ実況で声を届ける予定です。あと 別の事にもチャレンジしようと思っています。(放送現場しか知らず まったく世の中のことを理解できていない自分に恥ずかしいですが)
そんな予告は 2月1日になったとき X インスタにチャレンジしますので見てください。二人の息子は 沖縄 、福岡でアナウンサーをしています。

はるかに自分の同じ年数、キャリアと比較して 上をいっています。(もちろん、まだまだですが)そんな子供たちの放送を楽しみにしながら 第三の人生スタートです。
最後に 今 放送の信頼が揺らいでいます。アナウンサーとは? 問われています。地味な作業がほとんどです。出来て当たり前です。その中 声のプロ 言葉の最終伝達者として テレビ大阪アナウンサーは日々研鑽を積んでいます。
これからも テレビ大阪アナウンサーの そしてテレビ大阪を応援してください。
1月31日のニュースプラスがラストです。
有難うございました。
植草結樹